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尾道学研究会  林 良司

「新開を見守る明神さん・祇園さん」

 

 新開の内には、明神さんの通称で親しまれる厳島神社・八坂神社、石の祠で祀られる井隅神社の二つのお宮が鎮座する。井隅神社については、エビス神を祭神とし、江戸後期の段階で祀られていたことを碑文に知る程度で、歴史的詳細を辿ることは出来ないが、厳島・八坂の社については、歴史的に由緒深く、またその祭礼にも特色がある。

 江戸時代の尾道町(久保・長江・土堂の三町で構成する旧市街)を記録する古地図(絵図)を見ると、埋め立てが未だ成っていない新開の現在地にその名が見えており、社の後背には海が広がる。社殿は海に突き出すような形で立地していたようで、この界隈の古い地名を「築島」というが、この築島を厳島の転訛と見る説と共に、厳島の鎮座地がさながら島の如くに見えたとの解釈も、或いは出来るかもしれない。

 立地でいえば、社殿が北向きであるというのも特色である。神棚でもそうだが、通常神を祭る場合、北を背に南面するのを最上とし、他に西を背に東を向くなどが常で、北向きは好ましくないとされる。にも関わらず何故北向きなのか?。厳島の神が海上神・航海神であるから、その神がおわす、或いは訪れる海の方向を拝するように、しつらえられたのではないかとも考えられる。

 海に寄り添う厳島神社、そこに新たな神が明治になって同居される。これが祇園さんの通称で知られた八坂神社で、明治の神仏分離を受けて、それまで時宗常称寺の境内に鎮座していた祇園社が、厳島明神社の内に移転された。以降、鳥居に掛る扁額にも、厳島と八坂の社号を併記する今の形を見るのである。

 祇園さんの祭りには、勇猛な三体神輿が繰り出し、三体廻しと称して一種独特な祭礼を繰り広げるが、この祇園の祭礼は、かつては尾道三町挙げての、花火にも勝る人出と規模を見た、最大級の尾道の祭りであった。

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